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グスコーブドリの伝記





氷洲石


ニ、てぐす(釣り糸などに用いるテグス糸の取れる生物の総称。)工場

 ブドリがふっと目をひらいたとき、いきなり頭の上で、いやに平べったい声がしました。
「やっと目がさめたな。まだお前は飢饉のつもりかい。起きておれに手伝わないか。」
 見るとそれは茶色なきのこしゃっぽをかぶって外套にすぐシャツを着た男で、何か針金でこさえたものをぶらぶら持っているのでした。
「もう飢饉は過ぎたの? 手伝いって何を手伝うの?」ブドリがききました。
「網掛けさ。」
「ここへ網を掛けるの?」
「掛けるのさ。」
「網を掛けて何にするの?」
「てぐすを飼うのさ。」
見るとすぐブドリの前の栗の木に、二人の男がはしごをかけてのぼっていて一生けん命何か網を投げたり、それを繰ったりしているようでしたが、網も糸も一向見えませんでした。
「あれでてぐすが飼えるの?」
「飼えるのさ。うるさいこどもだな。おい。縁起でもないぞ。てぐすも飼えないところにどうして工場なんか建てるんだ。飼えるともさ。現におれはじめ沢山のものが、それでくらしを立てているんだ。」
 ブドリはかすれた声で、やっと、「そうですか。」と云いました。
「それにこの森は、すっかりおれが買ってあるんだから、ここで手伝うならいいが、そうでもなければどこかへ行って貰いたいな。もっともお前はどこへ行ったって食うものもなかろうぜ。」
ブドリは泣き出しそうになりましたが、やっとこらえて云いました。
「そんなら手伝うよ。けれどもどうして網を掛けるの?」
「それは勿論教えてやる。こいつをね。」男は手にもった針金の籠のようなものを両手で引き伸ばしました。
「いいか。こういうぐあい工合にやるとはしごになるんだ。」
 男は大股に右手の栗の木に歩いて行って、下の枝に引っ掛けました。
「さあ、今度はお前が、この網をもって上へのぼって行くんだ。さあ、のぼってごらん。」
 男は変なまりのようなものをブドリに渡しました。ブドリは仕方なくそれをもってはしごにとりついて登っていきましたが、はしごの段々がまるで細くて手や足に喰いこんでちぎれてしまいそうでした。

「もっと登るんだ。もっと。もっとさ。そしたらさっきのまりを投げてごらん。栗の木を越すようにさ。そいつを空へ投げるんだよ。何だい。ふるえてるのかい。意気地なしだなあ。投げるんだよ。投げるんだよ。そら、投げるんだよ。」
 ブドリは仕方なく力一杯にそれを青空に投げたと思いましたら俄かにお日さまが真っ黒に見えて逆まに下へ落ちました。そしていつか、その男に受けとめられていたのでした。男はブドリを地面におろしながらぶりぶり憤り出しました。
「お前もいくじのないやつだ。何というふにゃふにゃだ。おれが受けとめてやらなかったらお前は今ごろは頭がはじけていたろう。おれはお前の命の恩人だぞ。これからは、失礼なことを云ってはならん。ところで、さあ、こんどはあっちの木へ登れ。も少したったらごはんもたべさせてやるよ。」男はまたブドリへ新しいまりを渡しました。ブドリははしごをもって次の木へ行ってまりを投げました。
「よし、なかなか上手になった。さあまりはたくさんあるぞ。なまけるな。木も栗の木ならどれでもいいんだ。」
 男はポケットから、まりを十ばかり出してブドリに渡すと、すたすた向こうへ行ってしまいました。ブドリはまた三つばかりそれを投げましたが、どうしても息がはあはあしてからだがだるくてたまらなくなりました。もう家へ帰ろうと思って、そっちへ行って見ますと愕いたことには、家にはいつか赤い土管の煙突がついて、戸口には「イーハトーブてぐす工場」という看板がかかっているのでした。そして中からたばこをふかしながら、さっきの男が出て来ました。
「さあこども、たべものをもってきてやったぞ。これを食べて暗くならないうちにもう少し稼ぐんだ。」
「ぼくはもういやだよ。うちへ帰るよ。」
「うちっていうのはあすこか。あすこはおまえのうちじゃない。おれのてぐす工場だよ。あの家もこの辺の森もみんなおれが買ってあるんだからな。」
 ブドリはもうやけになって、だまってその男のよこした蒸しパンをむしゃむしゃたべて、またまりを十ばかり投げました。
 その晩ブドリは、昔の自分のうち、今はてぐす工場になっている建物の隅に、小さくなってねむりました。さっきの男は、三四人の知らない人たちと遅くまで炉ばたで火をたいて、何か呑んだりしゃべったりして居ました。次の朝早くから、ブドリは森にでて、昨日のようにはたらきました。

 それから一月ばかりたって、森じゅうの栗の木に網がかかってしまいますと、てぐす飼いの男は、こんどはあわ粟のようなものがいっぱいついた板きれを、どの木にも五六枚ずつ吊るさせました。そのうちに木は芽を出して森はまっ青になりました。すると、樹に吊るした板きれから、たくさんの小さな青白い虫が、糸をつたわって列になって枝へ這いあがって行きました。ブドリたちはこんどは毎日薪とりをさせられました。その薪が、家の周りに小山のように積み重なり、栗の木が青じろい紐のかたちの花を枝いちめんにつけるころになりますと、あの板から這いあがって行った虫も、ちょうど栗の花のような色とかたちになりました。そして森じゅうの栗の葉は、まるで形もなくその虫に食い荒らされてしまいました。それから間もなく虫は、大きな黄いろな繭を、網の目ごとにかけはじめました。
 するとてぐす飼いの男は、狂気のようになって、ブドリたちを叱り飛ばして、その繭を籠に集めさせました。それをこんどは片っぱしから鍋に入れてぐらぐら煮て、手で車をまわしながら糸をとりました。こうしてこしらえた黄いろな糸が小屋に半分ばかりたまったころ、外に置いた繭からは、大きな白い蛾がぽろぽろぽろぽろ飛びだしはじめました。てぐす飼いの男は、まるで鬼みたいな顔つきになって、自分も一生けん命糸をとりましたし、野原のほうからも四人人を連れてきて働かせました。けれども蛾の方は日ましに多く出るようになって、しまいには森じゅうまるで雪でも飛んでいるようになりました。するとある日、六七台の荷馬車が来て、いままでにできた糸をみんなつけて、町のほうへ帰りはじめました。みんなも一人ずつに馬車について行きました。いちばんしまいの荷馬車がたつとき、てぐす飼いの男が、ブドリに、
「おい、お前の来春まで食うくらいのものは家の中に置いてやるからな、それまでここで森と工場の番をしているんだぞ。」
と云って変ににやにやしながら、荷馬車についてさっさと云ってしまいました。
 ブドリはぼんやりあとへ残りました。うちの中はまるで汚くて、嵐のあとのようでしたし森は荒れはてて山火事にでもあったようでした。ブドリが次の日、家のなかやまわりを片附けはじめましたらてぐす飼いの男がいつも座っていた所から古いボール紙の函を見附けました。中には十冊ばかりの本がぎっしり入って居りました。開いて見ると、てぐすの絵や機械の図がたくさんある、まるで読めない本もありましたし、いろいろな樹や草の図と名前の書いてあるのもありました。
 ブドリは一生けん命その本のまねをして字を書いたり図をうつしたりしてその冬を暮らしました。
 春になりますと亦あの男が六七人の新しい手下を連れて、大へん立派ななりをしてやってきました。そして次の日からすっかり去年のような仕事がはじまりました。
 そして網はみんなかかり、黄いろな板もつるされ、虫は枝に這い上り、ブドリたちはまた、薪作りにかかるころになりました。ある朝、ブドリたちが薪を作っていましたら俄かにぐらぐらっと地震がはじまりました。それからずうっと遠くでどーんという音がしました。
 しばらくたつと日が変にくらくなり、こまかな灰がばさばさばさばさ降って来て、森はいちめんにまっ白になりました。ブドリたちが呆れて樹の下にしゃがんでいましたら、てぐす飼いの男がたいへん慌ててやってきました。
「おい、みんな、もうだめだぞ。噴火だ。噴火がはじまったんだ。てぐすはみんな灰をかぶって死んでしまった。みんな早く引き揚げてくれ。おい、ブドリ。お前ここに居たかったら居てもいいが、こんどはたべ物は置いてやらないぞ。それにここに居ても危ないからなお前も野原へ出て何か稼ぐほうがいいぜ。」そう云ったかと思うと、もうどんどん走って行ってしまいました。ブドリが工場へ行って見たときはもうたれ誰もおりませんでした。そこでブドリは、しょんぼりとみんなの足痕のついた白い灰をふんで野原の方へ出て行きました。




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